カラダシホン日記

主に食べることと、生き方のブログです。

医療否定・医療批判本を読むのはもうやめよう!むしろ、いかに「生きる」かを考えよう。

f:id:nazenanido:20170718115222j:plain

積ん読状態だった、医療否定本を処分中です。「がんと戦うな」「放置療法」の近藤誠氏の本や、それに対する反論本など、多数集めてしまいました。ここにあるのは、まだサラッとしか目を通してなかった本たちですので、実のところ、書棚には医療否定本がわんさか並んでおります。しかし、最近、考えることがあります。

民間医療や食養生に興味を持つとどうしても医療否定本も目にしてしまいますが、あまりにも「否定」や「批判」本を読むのは、精神衛生上、よくないのではないかと考えるようになりました。どうせ時間を費やすのだったら元気になる本を読むべきだということに気づいたのです。

遅いですね。

医療否定本の目的

医療否定本・医療批判を知っておくというのは大事なことだと思います。何も考えずに無批判に医療を受け入れるのは危険です。結局のところ、自分の体のことは自分が誰よりも知っており、最終的な責任も自分で下していかねばなりません。そういう意味で、医療を「使っていく」という意識が不可欠です。

こと、がん治療などの場合、抗がん剤・手術・放射線など、医師のいう通りの標準治療に「お任せ」していくのは不安です。

近藤誠氏は間違っていないけれど・・

ガン治療に関して、標準治療を攻撃(口撃)する急先鋒は、放射線科医の近藤誠氏でしょう。また、その近藤氏に対する反論本もたくさんあります。こういう論議を読み始めると、何が正しいのか、間違っているのか、分からなくなってしまい混乱させられます。私個人としては、近藤氏の主張は大いに納得できます。特に、高齢者のがん治療において、もはや「延命」にしかならないような抗がん剤・手術などで、老化(自然の過程)と戦い続けることには疑問があります。

近藤氏は結局のところ「終活」を語っているのだと思えます。

しかし、近藤氏の本には「希望」はありません。「人はどうせ死ぬのだから、粛々とそれを受け入れよ」というある種の「哲学」は、必死でがんと闘い生き抜こうとするサバイバーから士気を奪います。もちろん、やがて人は死ぬわけですが、「どうせ死ぬんだから、何をしてもしなくてもよい」というのは、投げやりに感じます。

がんサバイバーは実際にいますし、生き抜くための戦いをした人が生き残ります。もちろん、やがては誰もが死にますが。あきらめずに、戦い抜いて生きる人もいます。
tosituseigen.hatenadiary.jp

「治癒」を望めない人とっては、近藤氏の理論は自分を落ち着かせ、覚悟を決めさせ、無為な戦いをせずに死を迎える助けになると思います。しかし、まだ生きる希望を持つ人(持つべき人)にとってはどうでしょうか。何歳になっても「もう死んでもよい」と「達観」?できる人などいるのでしょうか。また、そうすべきなのでしょうか。結局のところ、近藤氏をめぐる医師たちの論議は「生と死」に関する倫理的なものなのですね。ある種の「哲学戦争」です。

そんなわけで、私は、近藤氏や彼をめぐる論争本に関しては、健康になりたい人、生きることを最後まで楽しみたい人が、どうしても読むべき種類の本だとは思えなくなりました。

まとめ

やがては誰もが死ぬのは事実です。しかし、大事なのは生きるための「勉強」です。ただの「延命」ではなく、今ある命をいかに生きるのかも含めて、自分なりに納得して、医療を、そして、養生を学ぶこと以上に大切なことがあるでしょうか。

私にとっては「栄養」の勉強がこれにあたります。自分にとって、無駄なインプットは必要がないと、最近割り切れてきました。

広告